色とは何か 私的色彩論の展開②

文化学園大学 造形学部 教授  大関 徹

高校を卒業して大学に入り、「色彩学」という初めて聞く授業を受けたのは 大学3年生の時だった。色彩をいろいろと出してみる授業かなと思った。 が、数式ばかりで閉口した覚えがある。当時は分からずじまいであったが、 色彩はかなり論理的な対象でもあるということは学んだ。恩義で単位を もらった記憶があるが、そんな私が大学で色彩学の教鞭をとることになるとは、 人生は不思議なものである。

私は新潟県の山あいの小さな村に生まれた。 豪雪地帯で、当時は冬になると3メートル近い雪に囲まれた。 思い返すと、私の色彩の記憶はその雪の白に突き当たる。 そして春になると雪解けの水とその下にのぞく土のこげ茶色、 そして周辺から芽生えるフキノトウなどの淡い黄緑とのコントラスト。 自然環境が豊かな場所だったので、私の色彩の原記憶は、 四季折々の自然の色である。幼くして、関東地方に引っ越してくるが、 残念な気持ちはぬぐえなかった。自然の色が物足りなかったからである。

大学ではデザインを学んだ。その関係でカラーデザインの先行開発や、 色彩情報機関として機能していた「日本流行色協会(JAFCA)」 という不思議な組織に職を得た。そこで、社会で使われている 様々な色彩と出会うことができた。また、学術関係の先生方も 多く出入りをしていて、日本色彩学会の会員になり、そ の仕事をボランティアとして行うということにもなっていった。 また、国際的なカラーデザイン先行開発に関する会議、 「インターカラー(国際流行色委員会)」やアジア地域での 国際会議にも参加するようになり、カラーの先行開発に対する 様々な視点を学ばせてもらった。

これらの経験から現在の私が色彩について思うこと、それは以下のようなものである。

 

1.色は環境である。--- 

 子供の頃の私には、自然環境とその色が大切だった。

 

2.色は言語である。--- 

 世界とのつながりが深くなった。共通に愛される色は言葉のようにそのイメージが互いに通じ合う。

 

3.色は科学であり、哲学であり、叡智の集合である。--- 

 

 ニュートンに始まる色の科学により、私たちは美しい色をすぐに目の前で再現できる。また、身の回りが「美しくあ れ」というのは、一つのこだわりであり、そうした環境を好まないひとは殆どいない。そして、それを色として創り 出すには、科学、哲学、文化など人が積み重ねてきた叡智が要る。色はそれができる。それこそが色が持つ総合力で ある。

 

4.色は心の自由の表現である。--- 

 色彩が豊かにあり、それを楽しめるというのは自由の表明であろうと思う。たとえ現実が不自由でも、心は自由を求 める。さまざまな色彩の表現は心のリミットを破り、心を広げてくれる。

 

5.色は多様性を包み込むものである。--- 

 私たちは、実はさまざまな見えざる手の存在を感じながら生きている。色彩は、性別、肌の色、宗教、組織、肉体、 年齢など、多様な人々や多様な物・事・心をまとめていく手段として寄与する。

 

6.色はデジタルとアナログをつなぐものである。--- 

 色彩は本来アナログな媒体である。他方ではデジタル処理での表現もできる。クールなデジタルとウォームなアナロ グ。色彩はそれらを無理なくつなげる媒体である。

 

7.色は絆である。--- 

 色彩は集合体の記号となる。色は心の表現でもあり、色は絆を意味するものでもある。タイ国のTシャツの色などはそ の事例である。

 

8.色は幸福を実現するための一つの手段である。--- 

デザインにおける色の効用はまさにここにあるだろう。ディズニーランドに来ると幸せになる人が殆ど。そこでは、幸福感実現の手段として色彩は機能している。

 

9.色は社会であり、文化である。--- 

 色には好き・嫌いが如実に表れる。歴史の中での「好き」の積み重ねが社会、文化の中で生まれ定着している。

 

10.色は人そのものである。--- 

 「色は人」という物理的な意味ではない。色にはさまざまな心、その表現、時代・環境での揺れ動きが反映される。 一定には固定しない。まさに人のありようそのものである。

 

こんなことを感じながら、色彩の仕事を続けたいと思っている。