5.素材の色

ここまで4つのテーマで日本の色彩感覚を見つめてきました。中でも「自然」「うつろい」「kawaii」という特質は、日本人の色彩感覚の独自性を支えるものでした。日本人は、自然を手本にして高度で繊細な色彩感覚を培い、その能力でゆたかな色彩文化を築いてきました。

ところが、この高度な色彩感覚が発揮できる領域はかなり偏っているように思えます。誤解を恐れずに言えば、日本人の色彩感覚は「素材」の領域に限られているといえそうです。

 

古都の装い

京都の祇園や京町屋の家並み、金沢に残る三つの茶屋街などの整った美しさは、今さら説明するまでもありません。これらの伝統的な街並みの魅力は何と言っても、瓦屋根、簾や格子戸、障子、土壁などの統一された外観にあります。そしてこれらの統一感は、瓦や土、木や竹、よし、紙などの自然素材によって支えられています。さらにこれらの素材は、素材色特有のたたずまいを誇っています。

木や竹、よしなどの素材が持つ色相は、ほぼYR系に集中します。そしてこのYR系には、土や砂の色も属しているのですから、自然素材の色が統一感を示すのは当然のことです。

京都でよく見られる弁柄(紅殻・紅柄)色――暗い黄みの赤(JIS系統色名)/原料の産地であるインドのベンガルにちなむと名として知られる大地の色――も、木材や土壁になじむ色として歓迎され、格子や塗り壁にと古くから活用されてきました。

このような日本の古都の街並みは、イタリアの街並みに見られるような、赤みを帯びた壁に映える反対色である青緑色の窓枠を選ぶ感性とは、明らかに異なる美意識で形成されているといえます。 古都の街並みには、木や土などのYR系の色の他に、漆喰の白・黒、伝統的な和瓦の銀黒などの色群が加わりますが、これらの色も素材感と密接な関係を保っています。

京都や金沢の古都の魅力は、あきらかに素材と色の連動にあるようです。

 

茶室のたたずまい

わび・さびを体現する茶の湯における茶室は、主に土と木と紙で構成されています。茶室を代表する千利休の待庵(たいあん)、小堀遠州の蜜(みったん)、織田有楽斎の如(じょあん)、古田織部の燕(えんなん)などの茶室からは、緊張感にあふれながらも不思議に心落ち着かせるような静かな美しさを感じます。そしてこのような茶室の美しさには、高度な美意識に裏打ちされた素朴な素材美の演出が関わっています。

京都における外国人に人気の観光スポットの一つに金閣寺があります。そしてこの金閣寺と対になる建物として挙げられるのが、銀閣寺とも呼ばれる慈照寺です。この慈照寺は、衆知のように銀箔が貼られていたわけでなく、黒い漆で塗られたまま時の経過を刻んできました。現在では、この銀閣寺の時を経たたたずまいが多くの人に愛されていることは確かなことで、最近の修復(2008年~2010年)においても、現在のたたずまいを尊重して、外壁に新たな黒漆を塗ることはありませんでした。通常日本人は、神社仏閣に塗られている丹色が褪せた場合に、鮮やかな丹色に塗り替えることを好みません。むしろ、色が褪せたり、はがれ落ちたりしているたたずまいをそのまま愛するように思えます。これは、韓国に見られる丹青(タンチョン)のように、神社仏閣を五色に彩色して、頻繁に塗り替えることでその鮮やかさを保ち続けることを当たり前とする姿勢とは、明らかに異なっています。

 

贅沢な素朴

日本の伝統工芸は素材と深い結びつきをもっています。手触りに関わる素材感・質感・表面感は、作り手、使い手を問わず、重要な美的要素となっています。

利休(千家)十職を代表する楽家の創り出す楽茶碗は、手とへらだけで成形された、手作りのゆがみを特徴とした焼きものです。それは、均一な厚みやシンメトリーな形態が生み出す硬質な印象とは異なる存在感と魅力を示します。掌の中に宇宙を感じると評されることにも頷けるはずです。

それにしても、そこら辺(?)で掘ってきた土を、ろくろも回さずに手でひねって焼いた器が、大きな価値を生む事実には、驚かなければならないのかも知れません。世界中で一般的に見られる、金や銀、宝石などで作られた工芸品の価値とは大きく異なっているのですから。

私たちの日常生活においても、多くの日本人は、MY箸、MY茶碗にこだわっていますが、微妙な手触りや掌に乗せた感触、微妙な質感など、日本人のこだわりはしっかりと素材に注がれています。

もちろん工芸品は、一般的には職人の高度な手技によって制作されています。手の込んだ蒔絵が施される漆器や塗り箸など、日常の生活道具のような素朴さとは異なる洗練された美しさが工芸品の特徴でもあります。とはいえ、漆器のもつ魅力や品格も、土台となる木質の素材感とは無縁ではないでしょう。

個人的な視点かも知れませんが、私には鮮やかな緑色や橙色に塗られた漆器がともすればプラスチックに見えてしまうことがあります。これは、私が典型的な漆器の色という固定概念に縛られていて、赤や黒といった見慣れた漆の色と素材としての木質が一体となって結びついているせいだと思っています。

 

世界に誇る精密加工の技術力

日本製品の高度な品質を支える中小企業の技術力は世界に誇れるものの一つです。

五輪メダリスト御用達の世界一の砲丸を創りだした辻谷工業。機械では打ち出せない新幹線のノーズカーブを手作業で叩きだす山下工業所。そしてiPodの研磨を託された小林研業などなど・・・。

精度や仕上げ技術にこだわる日本企業は、枚挙のいとまがありません。何事にもや完璧性を求める精神性と、指先の器用さが結びつくことで、日本企業のハイレベルな精密加工、いいかえれば世界一の職人技を実現しているのです。日本人の独自の感性と能力は、ミクロの手作業にも反映しています。

 

四十八茶百鼠

日本の歴史を振り返れば、分不相応な贅沢を禁じるため、庶民・貴族を問わずにたびたび奢侈禁止令が出されてきました。中でも、江戸時代に出された一連の奢侈禁止令は徹底したもので、どんな身分であっても、贅沢な着物を着てはいけないとされました。麻と綿以外の素材は駄目、茶色、鼠色、藍色しか着用してはならないと規制された江戸の町人たちは、許された地味な色に微妙なこだわりを見出すことで、粋で豊かな服装文化を展開したのです。これらの色の数々は「四十八茶百鼠」と呼ばれ、華やかな色の乱舞とは異なる、微妙な色調の変化を親しむ美意識を醸成する結果となりました。

世界では、地域や種族などで様々な色彩嗜好の傾向が存在しますが、このような地味な色への肯定的な文化姿勢は、かなり珍しい傾向です。インドでは、鮮やかでなければ色として認知されないかのような傾向が見られることを思えば、アジアにおいてさえ、色彩文化の隔たりの大きさに改めて気付かされます。

 

雑音の美

2稿「自然の色」において、虫の音を受け止める脳活動が日本人と西欧人では異なることを指摘しましたが、このような差異は楽器の音についても見受けられるようなのです。本来、楽器の音は音楽脳である右脳で受け止められるのですが、日本人は洋楽器と和楽器で、脳での受け止め方が異なると言われます。不思議なことに日本人では、洋楽器の音は右の音楽脳で、和楽器の音は左の言語脳で分けて処理されるそうなのです。では、なぜそうなるのでしょうか?

洋楽器の音と和楽器の音では、異なる点があるのでしょうか?

邦楽に詳しい方にお聞きしたところ、音の純粋性を重視する西洋音楽とは異なり、邦楽では噪音と呼ばれる雑音的な音も取り入れられていると、教えていただきました。

この教えに関係すると思われるのは、虫の音や自然の音を言語脳で受け止める日本人の脳活動のことです。 となれば、和楽器の音を言語脳で処理しても不思議ではありません。確かにウェブサイトを覗いて見ると、音色の純粋性を追求する西洋楽器・西洋音楽と、雑音の美までを組み入れてきた和楽器・邦楽との違いが事細かに説明されています。見方を変えると、和楽器は、自然の音を言葉として受け止めようとする日本人の感性が生み育ててきたものだと言うことができます。

私は京都で、夏になると祇園祭のお囃子が聞こえる場所に住んでいますが、私の耳にはこのお囃子がはっきり「コンチキチン」と聞こえてきます。これも左脳で処理された結果なのでしょうか? それにしても日本人は、音楽の世界においても、音程、音色、リズムなどの微妙さに美意識を投影してきたと言えるでしょう。

 

存在しない色を見る

皆さんは色の残像効果をご存じだと思います。例の反対色が見える色彩現象のことです。 ここで質問ですが、図Aの残像はどのように見えるのでしょうか?

 

周囲の黄色い三角形と青い三角形はそれぞれ反対色となるはずなので、色が入れ替わったように見えるはずです。それでは中心の灰色の六角形の残像は何色になるのでしょうか? 周囲の白場より少し暗い灰色ですので、明るめの灰色の六角形が見えるはず・・・です。

 

 ※ここで検証をいたしましょう。先ず図A10秒ほど眺めていただいて、右側の+に眼を移していただくとその残像  がご覧になれます。

  いかがでしたか? 中心に灰色の六角形が見えた方はいらっしゃいますか?

 

ほとんどの人が、大きな青い三角形の上にかぶさる黄色の三角形が見えたと思います。これが皆さんの視覚です。それでは、灰色の六角形の残像はどこへ消えたのでしょうか?

色が生じるはずの無いスペースに黄色が出現したのはなぜでしょうか?

 

これはシンプル化、一般化を求める認知の性質に起因します。私たちの視覚(だけではないのですが)は、人類の進化とともに発達してきました。長い淘汰の歴史の中で、環境に潜む危険をいち早く察知する眼、環境に隠れる獲物をすばやく見つける眼が求められたことは言うまでもありません。このような進化の過程で、あいまいな視覚情報であってもより早く見知ったものとして(無理やり?)認知・判断してきた結果、皆さんの持つ視覚が形成されました。

先ほどの図Aを見つめた結果として生じた残像現象において、見慣れない複雑な残像図形として認知するのではなく、見慣れた2つの三角形として認知してしまうような人の視覚が、好むと好まざるとにかかわらず出来上がっているのです。これについてはあきらめるしかありません。 多くの錯視現象にこの一般化を求める性質が関係しています。

 

3%の視覚

皆さんはご自分の盲点を探したことがありますか?

たとえ片目をつぶっても、普通には盲点を見ることはできません。本来、網膜上での光を感じない箇所に気がつかないのはなぜでしょうか?

人の網膜上には光を感じる視細胞である桿体(ROD)と色を感じる錐体(CONE)があることはご存じでしょう。そして錐体は周辺視野になるほど減少することも。それでも皆さんの周辺視野はフルカラーで見えているはずです。中心だけにしか色が見えないはずはありません。このような視覚補完は、水平細胞などの視細胞を横につなぐメカニズムが行っているといわれます。

ある説では「視覚は、網膜からのリアルな情報(3%)と脳による情報補完(97%)で構築される」とされます。3%は極端な状況とは思いますが、少なくとも私たちの視覚は、少い環境情報を基にして自分が持つ記憶や経験で補完した結果、構成されているといえそうです。

そしてこの情報補完の目的は、速やかな環境把握のためであって、そのために、一般化や分かり易さ、安定を求める視覚として成り立っているのです。

 

DNAに刷りこまれた色/心の中の色

私たちは男女の視覚特性には差があることを習っています。 男性の視覚は、動きを読み取ることに長けていますし、色を見分けることについては女性の方がすぐれているといわれます。

数年前に、英国で新しい学説が紹介されました。それは、女性が赤い色を好きなのは、過去の採取・狩猟生活の時代において、女性は木の実などの自然の恵みを採取する仕事に従事していたので、成熟色であるを探していたために、現在の女性たちはを好むのではないか、という内容でした。この論法でいけば、男性は狩りをする必要から、晴れた日であり、水や海の色でもあるが好きということになります。そして当然、動くものに鋭敏な男性の眼、色を見分ける女性の眼についてもうなずけるはずです。

私たちの見る色は、DNAに刷りこまれた色でもあるのです。

前の章で私たちの視覚は、リアルな視覚情報を基に自分の記憶・経験で補完されていると述べました。言い換えれば、は個人の心の中に存在することになります。そして、個人の記憶と経験が関係するなら、は人によって異なるはずです。さらに、記憶と経験の土台には個人が属してきた文化が関係するのは当然のことです。つまり、は文化によって異なるのです。

とはいっても、色の感じ方や受け止め方が、個人個人でばらばらだったり、文化によってまるっきり違ってしまうということはありません。第1稿「色を生むもの」の中で紹介させていただいた色彩心理学の 千々岩 英彰氏によれば、人種も、風土も、文化も異なるはずの各国の若者たちが抱く色彩イメージには、およそ8割もの共通性があることが確認されています。

 

日本語が創る文化

榮久庵 憲司氏が風鈴について、冷気を誘う優れたデザインだと語っておられた――と(少し心もとないが)記憶しています。そして、日本人は風鈴の音に冷気を感じとることができるといわれます。日本に住む外国人でも、居住が長くなると、風鈴の音に冷気を誘われるようになるそうです。ここにはどのような心理的なメカニズムが存在するのでしょうか?

今では、擬音語や擬声語のことを「オノマトペ」というらしいのです。そしてご存じのように日本語には、このオノマトペがあふれています。特に自然の音の豊富な表現にその特徴があるように感じます。例えば風の表現である「ソヨソヨ」「サワサワ」「ヒューヒュー」「ビュービュー」などなど。

それにしても漫画のコマで見かける静寂を表す「シーン」という表現の素晴らしさには感心します。この「シ-ン」の発明?はあの手塚治虫氏だとする説もあるようです。

このように、日本語は、世界的に見てかなり特異な言語とされています。音読み、訓読みの併用に加えて、漢字、平仮名、カタカナ、ローマ字、アラビア数字などの多くの表記法を備えていることも得意な点の一つですが、それ以前に日本語=日本という図式自体が珍しいらしいのです。世界中で11言語の 統一言語を持つ国は、韓国、北朝鮮、モナコ、バチカンに日本の 5カ国しかないといわれます。 世界は多言語国家で形成されているのです。

2稿でも触れましたが、日本人の脳活動に日本語が深くかかわっていることを思えば、日本文化の独自性は、世界でも特異な日本語によって形成されてきたといっても過言ではないでしょう。

 

繊細な感覚が生むCMFデザイン

今、カラーデザインの分野で「CMF」という言葉が多用されるようになりました。これは、カラープランニングにあたって、CMFColorMaterialFinishを統一する表面感が大切であるとする動きであり、色は、色だけで存在せずに、素材と仕上げを包括するものとして、カラープランニングとしてこの3者を扱う総合的なデザインを意味します。このCMFデザインは確かに重要であり、注目されるべきものです。 でもちょっと待ってください!

前段のいくつかの章で紹介したように、古来より日本人は素材と深い結びつきを保ってきました。伝統工芸の職人さんたちがその工芸品で示す精妙な色使いは、CMFの達人として、世界にも類を見ないほどの技と能力を示すものではないでしょうか?

ここで誤解を恐れずに言うなら、日本人はCMFデザインに精通し、日常生活の領域においてさえ世界トップレベルのCMFデザインを行ってきた歴史を持っているのです。そう考えれば、CMFデザインは、日本人の感性に沿うものとして、日本の得意分野として言い切れるはずのものなのです。

 

都市の混沌

1稿から4稿にわたって、日本人の持つ美意識や精妙な色使いなどに触れてきました。本稿の前段においても、日本の古都の美しさについて述べましたが、このような日本人の繊細な美意識や色彩感覚は、世界に誇れる資質だということははっきりしています。ところがその一方で、日本人の美意識や色彩感覚を現在の大都市に見つけようとすると、大いに苦労する事態に陥ることには皆さんにも同意いただけると思います。

かつて、I元都知事が公式な式典の場で、東京を吐しゃ物に例えた発言をしたことがありますが、東京が清潔ではあるものの景観に関しては決して満足できる水準でないことは、広く世界でも常識になっています。

一体、なぜなのでしょうか? あの繊細な美意識や色彩感覚はどこに行ったのでしょうか? 古都にはあって、都市にないのは何なのでしょうか? 都市にはなぜ、統一した美しさが存在しないのでしょうか?

日本は、ゆるやかな全体主義と評される国でもあります。例えば、就職活動時のスーツがほぼ100%BLACKであるのは、この全体主義的志向の現れといっていいでしょう。それがなぜか、都市になると秩序とはほど遠い混沌とした色彩環境になってしまうのです。

 

城郭都市 vs. 城下町

西欧の古い都市の統一された美しさは旅行者の心を惹きつけるものです。都市を形成する石材、煉瓦などが同一色であることが、この統一感を生みだします。西欧各国の首都は、古都である顔と現代都市である顔の両面を持っています。たとえ現代都市としての顔を持つ街並みを取り上げても、混沌とした日本の都市とは大きく異なる統一性を保持していると言わざるをえません。この統一性を生み出すものにPUBLIC(公共)があります。残念なことに、日本でははなはだ希薄な意識といえます。

西欧の都市の多くは城郭都市としての歴史を持っています。古代イタリアでは都市ごとに人種が異なる場合があり、生存のために城郭を構築することは必須の条件でもありました。ひとたび城郭をめぐらせてしまえば、住民たちは固定化されたスペースを共同で使用することになり、おのずと相互の義務と権利の概念が生まれ、浸透することになりました。加えて、牧畜文化で培った動物管理の技術がこの動きを加速します。これがPUBLICの生成といえます。

西欧とは異なって、日本の街並みの代表は、城下町や門前町といった中央に核を備えたものです。中央の権威を前提に、権威と個人、権威に付随した商圏と個人といった結びつきの集積が町/都市を形成します。そこには義務と権利が存在することはなく、長い時間をかけてお上意識が醸成されることになりました。日本人が公共意識を持ちえない所以です。

 

                       ●素材感が統一されたフィレンツェの景観

 

隅田川の著名橋

隅田川の下流には多くの著名橋が架かっています。関東大震災の後の復興事業などで架けられたこれらの橋は、その構造の美しさで多くの人に愛されています。そして現在、これらの橋は高彩度の強烈な色で彩色されている事実があります。

両国橋は赤と緑の2色に塗られていました。この両国橋は、幸いなこと?に最近GRAYに塗り替えられました。蔵前橋は強烈な黄色。厩橋は緑。駒形橋は青。そして吾妻橋は目の覚めるような赤です。言問橋は青味がかった緑。そして白鬚橋は白に塗られていて、これらの7橋は総称してレインボーカラーと呼ばれるそうです。

ネーミングのセンスは認めるものの、近い距離にあるこれらの橋を高彩度に塗り分けるセンスとコンセプトには――あくまで個人的な意見ではありますが、ついてゆくことができません。

最近になって、塗り替えの時期を迎えた吾妻橋については、橋の色を検討する建築家、色彩の専門家や市民が参加するフォーラムが開催されています。

 

                         ●原色に塗られた「蔵前橋」

個体美への視線

京都には、多くの老舗のお菓子屋さんが存在しています。京都のお菓子屋さんは、茶席などにオリジナルな和菓子を制作・納品するようなお店を意味するそうで、通常のお饅頭などを扱う店はお餅屋さんと呼ばれて区別されています。このお菓子屋さんでは、お店ごとに季節のお菓子が決まっていて、行事や月ごとに品ぞろえが変化しています。例えば630日になると、一斉に店頭に「水無月」と呼ばれる和菓子が並ぶのも京都の風物詩の一つです。日本全体では季節感が希薄化したといわれますが、それでも節句にちなんだ「桜餅」や「柏餅」は、私たちの生活に深く根ざしています。

季節感と結びついた和菓子は、日本人の美意識が生み出したものです。さらに、葛などを使って中の餡の色が透けるようにした表現や、練り切りに見られるような連続的に色が微妙に変化する表現などは、西欧のスイーツや中国、韓国の伝統的なお菓子とは明らかに異なり、日本の色彩感覚を見事に映し出したものです。

これらの和菓子の美しさはわざわざ述べるまでもありません。一点一点が職人の作品として鑑賞され、そして食されます。お客様にも、あくまで一個の和菓子として感じ、味わっていただくのです。 昨今のスイーツブームで人気のものに「マカロン」があります。カラフルなマカロンは、一個より二個、三個と増えるにつれて、鮮やかな色の組み合わせが強い魅力を発揮します。一個一個の見た目もありますが、集積された複数の美にもこだわりがありそうです。

洋食器の美しさは、個々の美しさとともに集積された美しさでもあります。テーブル上にセッティングされた、カップにソーサー、ティーポットにミルクピッチャー、シュガーポットの統一された美しさ。さらに大勢のお客様のために多くの同一食器が整えられた大テーブルの整然とした美しさは格別のものです。 それに比べて和食器の美しさは個々の美しさに焦点があわせられています。一般家庭の食卓の風景であるMY箸、MY茶碗の存在は、個体美への視線そのものでもあるのでしょう。

 

大局観の喪失

日本が西欧の本質を追究する文化とは異なり、あるがままの存在を認める文化の持ち主であることは、これまでの稿でも触れてきました。「本音」と「建前」の存在や「恥の文化」が意味するところは、本質の是非よりも表層である肌ざわりを重視しようという、長らく高度な労働集約的農業を営んできた日本人の生活の知恵でもあるのでしょう。

とはいえ、のような運命共同体の中では必須の姿勢であり、精神構造ではあっても、世界が一つの市場、生産工場、遊び場となった今日、世界というの中での生活では齟齬が生じるのは避けられません。それが「ガラパゴス」となって顕在化しています。

日本の政治や外交の能力やレベルを、世界に誇れるものと評価する人がどれだけいるでしょうか?

この日本の政治や外交でしばしば指摘されることは、ビジョン、つまり大局観がないということです。 ここまで日本の文化や日本人の意識、資質、性質などを論じてきたところでは、この「大局観」は日本人には苦手なものとして挙げるしかありません。

やはり日本人は、本質より「表層」、全体より「個」、大局より「枝葉」を求める文化を形成しているようです。

 

一体化したままのCMF

TV放送の番組で日本テレビの「小さな村の物語 イタリア」楽しんでいます。番組の中で感心させられるのは、イタリアの小さな村に登場される現地の人の服の色、インテリアの色のセンスです。パリジェンヌのシックさとは異なりますが、とても上手にきれいな色の組み合わせを楽しんでいるのです。それも大都市に近い村とは限りません。文字通りの片田舎住み続けるおばあさんの色の着こなしの素晴らしさといったら!

一方、日本の紀行番組や旅番組、伝統工芸の紹介番組に映る日本人の服装には、これほどの色彩センスをお持ちの方にはなかなか出会えません。少し残念です。

不思議なことは、精妙な色彩が美しい、素晴らしい伝統工芸の作品を創られる職人の方々の服装の色使いもあまり変わらないのでは?と想像してしまうことです。伝統工芸の技の中で発揮する色彩感覚と、日常生活における色彩感覚とでは隔たりがあるのではないでしょうか? ここには、素材を活かしてきた古都の色彩と混沌とした現代の都市における色彩環境の対比と同じような構造が存在します。

日本人は素材感を尊重します。あるがままの自然を素直に受け入れてきたように、自然の色、素材の色を素直に尊重して、繊細な色彩感覚として、生かし、身に着けてきました。

このような姿勢や能力は、現代の生活に生かされているのでしょうか?

この問いに率直に答えるならば「否」というしかありません。吐しゃ物に例えられる首都、色彩センスを置き忘れてきたような混沌とした街並み、レインボーに塗り分けられた橋梁、住宅地に見られる突拍子の無いペンキの色、色・・・。

なぜ日本人は、素材から離れた塗料の色となるととんでもない色を使うのでしょうか?

日本人は、素材から離れて自由に色を使える局面になると、どうやら節度を忘れる傾向がありそうです。言い換えれば、日本人はCMFデザインは得意でも、大がかりな色彩計画は不得手ということになりそうです。

 

色を思索する/色彩学の不在

一般社団法人日本塗料工業会が2014年まで発行してきた『彩(IRODORI)』は、正攻法?の編集により、大変良くまとまった特集が魅力でした。この『彩』の2012 No.30の特集は【表色系 さまざまな色の定規とその仕組み】、同じく2013 No.31の特集は【「色の調和」美の原理を追う 思索者の百花繚乱】で、それぞれの歩みがビジュアルに、そしてコンパクトにまとまっています。これらの特集を拝見して気になることは、このような、色を体系的にとらえて論理化しようとする試みは、すべて西欧の出来事だということです。

西欧では、ギリシア文明の土台の上で、物事の本質を理解しようとする姿勢が強く見られるため、色彩表現においても、個々の色を見極めて、その色の本質が生きるように使用することが求められました。ここに色彩学が発達する土壌がありました。一方、日本では、西欧のように素材から離れて色だけを見つめる姿勢が育ちませんでした。

そのため、西欧では個々の色の性格や意味を大切にするとともに、配色という色彩を利用する技術も目覚ましい発達を遂げるのです。ですから西欧では、色を組み合わせるための基本動作は、個々の色の特性が際立つように、反対色としての選択から始まるのでしょう。

2稿「自然の色」で説明したように、自然からを取り出して見つめ、思索し、色彩としてとらえ直した上で、自在に使いこなすようになった西欧の色彩文化から見れば、自然のあるがままの様相を受け入れ、複雑微妙な自然の色使いを素直に活写するにまかせてきた日本の色彩文化は、まさしく対極の位置にあると言うしかありません。

 

体系としての思想に代わる思想としての表現

フランスの教育制度で注目されるのは、哲学を学習することです。リセと呼ばれる高等学校では一貫した哲学の教育が行われていると聞きますし、大学入学資格試験であるバカロレアには 一般技術といった3つの選択肢があるのですが、いずれの試験でも哲学の試験が必修となっているのです。

日本の教育制度とは明らかに異なるこれら哲学の習得は、物事の本質を追究しようとする欧米文化の明らかな現れです。

新潮文庫の『日本人は思想したか』(吉本隆明・梅原猛・中沢新一著)では、日本を代表する3人の知性が、日本人の思想について語っています。その冒頭で、日本には思想を体系的に論じた書を探すのは困難だが、代わりに、茶道や立花、演劇などの分野で思想を表現するような書が多いのではないか、という指摘に続いて、日本人は体系的で普遍的な思想というものは創ってこなかったが、いつも具体性と結びつくかたちで思想を表現してきた、と語られています。

私たちは、CMFのような素材と結びついた領域を中心に、日本の色という思想を表現する分野で世界に誇る色彩文化を築きあげることができました。その一方で、残念なことですが色彩という思想体系を創造することはできなかったようです。

 

色彩の無い、色の大国「日本」

環境色彩の第一人者である吉田慎悟氏は、日本には色彩がなくのみがあるのではないか、と語られています。 それは、色彩学の歴史に見られるように、色をモノから引き離して抽出することで配色を行える西洋に対して、日本では、材質から離して色を見ることができない。日本の色はモノであり、色質であり、陰影でもある。従って、パーツとしての色彩が存在しないため、純粋な配色も持ち得ない。

楽譜の無い邦楽のように、ハーモニーだけではなく一音で音楽たりえる日本には、色彩が無く、のみがある・・・。

この吉田氏のご見解をそのまま結論としてお借りして、この稿を終了することにいたします。 日本はまさしく、色彩の無い「色の大国」なのでしょう