4.kawaii色

2011年春夏シーズン向けのインターカラーの決定色に、少女的な感覚のライトカラーの色群が選定されました。1963年に設立されたインターカラーの長い歴史を通じて、少女的な色の選定は初めての出来事だそうです。日本の子ども文化の反映である「kawaii」は、「COOL-JAPAN」の代表として、世界中に広まっているのです。

 

弁当男子&デコ携帯

日本人は、世界有数の視覚文化を誇るヴィジュアル人間ですので、生活環境において美しさを強く求める姿勢が、現代の生活の中でも随所に見受けられます。

ひと昔前から「お弁当男子」はすっかり定着したようですが、この「お弁当」について、自分のブログでお弁当を披露していた人が多かったと聞いています。映える「キャラ弁」の出来上がりの見事さは確かに一見の価値があります。「人に見せるものなのか?」という疑問はさておき、日本のお弁当の多彩さは「COOL-JAPAN」にふさわしいものでしょう。ご存知のウインナーの料理法だけでも多くの工夫がなされていて、ここには立派に、日本人の完ぺき主義季節感に富んだ色彩効果が顕在化しているのです。それにしても、福笑いに似た、目、鼻、口の海苔の細片を打ち出せる海苔パンチ?などの、小技の効く小道具の存在は、確かに日本特有の現象だと感心させられます。そして、多種多様な「お弁当」に一番求められる感覚、表現は、やはり可愛らしさでしょう。

COOL-JAPAN」の走り?といえば、kawaii表現満載のデコ携帯の世界も有力選手でしょう。今ではスマホに代わられてすっかり見られなくなりましたが、当時は、ここまでやるの?と言うくらいのギャルっぽいスタイルができあがっていました。ここにはストラップ文化までが加わっていたように思います。日本の精緻文化の代表でもある「根付」に端を発すると思われるストラップの、可愛さを競いあう多様な展開も、外国人には珍しいものだったでしょう。

これらすべてが、世界では見られない、理性を絶対視することなく、未成熟と見なされる少女や子どもの文化を重要視する、特異な日本の文化や美意識に支えられていたと思われます。

 

COOL-JAPAN――日本的なものの構造

現在、「COOL-JAPAN」として日本のコンテンツが世界から注目されているのですが、このコンテンツ=世界に無い文脈は、どのような背景を持っているのでしょうか?

ここでは、日本的な構図として二つの背景を確認してみましょう。

その一つが日本の生命観/アニミズムと多神教との関連です。現在ではトイレに美しい神様が存在する日本ですが、本来、国中に神様が存在しました。鎮守の森だけでなく、山や川や海から多くの魂の息吹を感じとることで、日本人は日常的に自然を敬い、手を合わせてきたのです。工場の工作機械に名前を付けたり、製造機械の廃棄にあたって、「ご苦労さん」と機械に向かって頭を下げる光景は、日本の日常の姿でもあります。

世界に広く知られた宮崎駿のANIME作品の多くは、自然と人間が一体になった世界への共感を描いています。作品の主人公であるナウシカやもののけ姫は、自然世界と日常的に対話する存在です。『魔女の宅急便』や『ハウルの動く城』では、まっとうな魔女さえも登場しています。

日本的なものの代表である「歌舞伎」においても、キツネ付きなどの動物との感応という事象が存在しているようです。手塚治虫の代表作でもある『鉄腕アトム』は、他の多くのロボットMANGAにあるように、機械との交感の物語です。AIBOやたまごっちと言ったサイバーペットは、これらのMANGAANIMEの世界観に明確に連なっていることがお分かりでしょう。

二つ目の背景は、西欧式二元論の自由な超越です。分かりやすい「善と悪」や「敵と味方」、「男と女」と言った二元論を超越する世界観です。前述の「歌舞伎」は、男装の阿国に始まる歴史を持っていますし、現在の女形の存在は、性の倒錯そのものでもあります。また、『攻殻機動隊』や『ガンダム』などの善悪、敵味方が錯綜するMANGAANIMEだけでなく、映画のゴジラも、悪玉だったはずなのですが、いつの間にか善玉としても登場していたようでした。

このような流れは、前述の手塚治虫の作品にも多く見受けられます。『メトロポリス』や『リボンの騎士』の主人公は、男と女の間を行き来する存在であり、『W3』の主人公である宇宙人は、動物に変身して行動していたのです。

 

kawaii」の成立

COOL-JAPAN」の主流であるkawaii感覚は、日本独自のコンテンツです。そして、このようなコンテンツが世界で求められた理由は、未成熟=子どもの文化を肯定する日本そのものにあると思われます。日本と西欧における、純粋・無垢、素直で無害な存在の子どもと、理性に欠ける未完成な存在 としての子どもの対立像。ここに、世界有数の経済市場日本で構築される子どもの世界=市場が重なっています。

この世界は、子ども自身が形成する巨大市場なのです。例えばMANGAは、子どもの自律的購入に始まり、次いで購入者/読者の意見が作品の進行に反映されるようになっています。この一連の昇華の過程を経て、日本のMANGAは、きわめて高度な内容を獲得しました。このような、作り手と子どもの相互形成市場は、“09ファッションに見るストリートファッション業界と同じ構造でもあります。

西欧での玩具は、教育的見地から選択され、大人が買い与える性格が強いと思われますが、日本の玩具は子どもの欲望を実体化し、さらには肥大化さえしているように感じ取れます。

ところで過去には、小説によって人の情感や人生、教養などを学んだものですが、今では、人間形成のとば口はMANGAになってしまったのかも知れません。

 

若さの価値

80年代からの若者を中心としたタウンカジュアルファッションの隆盛は、単品コーディネートの自由な着こなしを広げるものでした。この流れは1990年に、紺ブレの大ヒットを引き起こします。それまでは、トラッドのメインアイテムだった紺ブレが、トラッドの着こなしルールを超えて、ジーンズやTシャツと組み合わせて着用され、大流行したのでした。

この時を持って、ファッションの主導権は、業界から消費者=若者へと手渡されました。これ以前、おしゃれな人とは着こなしのルールを知っている人を意味していましたが、この時以降、おしゃれな人とは、着こなしのセンスの良い人を指すことになりました。自由な単品コーディネートを前提とするファッションにおいては、服装のルールや経験の代わりに、より自由で新しい着こなしの感覚が求められるようになったのです。そのため、新しい感性が重視されれば、経験を積み重ねた年齢は不要になり、若い精神に軍配が上がります。生活の知恵を重んじられて社会に居場所を見いだしていた高齢者は、社会の隅へと追いやられることになってしまったのです。

80年代中ごろには、女子大生ブームの火付け役だった『オールナイターズ』、に代わって、女子高生の『おニャン子クラブ』がブレークしました。以降、明らかに日本文化の低年齢傾向に拍車がかかります。87年には、「全日本国民的美少女コンテスト」がスタート。また、この時期において、ティーンズのファッション化が顕著になり、日本のファッションは、若者が牽引するファッション社会に移行し、「紺ブレ」の流行に繋がって行きます。

老いることが悪いことであるかのような日本において、今では当然のように、若いということが大きな価値を持つようになりました。30歳代のテレビキャスターが、主にスポーツ選手との結婚をもって引退することを勝ち組とする風潮からは、テレビキャスターの賞味期限がかなり若い年齢に偏っていることが納得できるでしょう。

ティーンのファッションや化粧品が堂々と売れ筋になり、『東京ガールズコレクション』の話題が業界紙だけでなく一般紙をもにぎわし、母と娘が同じような服装で、誇らしげに一緒に歩く姿をみると、日本のファッションが多くの若い人若い感覚に支えられていることを再認識します。「幼形進化」をとげる現代のファッションの美の基準は、結局は、若さに尽きるかのようです。

 

世界で受け入れられる「COOL-JAPAN

60年代以降、世界的に、青年期を脱して自己アイデンティテイの確立を欲しない動きが顕在化しました。モラトリアム社会の到来です。この動きは、宗教やイデオロギーによる排他的世界観で構成されたような現実世界に対する疑問や不満が増大した結果、そのような世界の構成員=大人になることを無意識的に避ける動きが生じたのだとする解釈がありました。このような、大人になりたくないとする隠された願望が、“kawaii”を肯定します。

一方で、情報の世界共通化が進む国際社会の中で、個人を縛っていた宗教・民族・国・習慣などのくびきを逃れて、自己の多様な可能性を求めようとする世界的な風潮が台頭しているのではないでしょうか?

これまでは、生まれたその国、民族の中で、望まれた人物像になることが大人になることでしたし、そこに疑問が存在するはずもありません。それが今では、他国の、異民族の生活や文化を見たり、触れたりすることができるようになりました。思い返して欲しいのですが――戦後の日本の子どもたちが当時夢見た、家に帰ると大きな冷蔵庫からこれも大きなミルク瓶を取り出しコップに注ぐアメリカの子どもたちの姿・・・。これは豊かさへの羨望だった訳ですが、タブーに囲まれた生活の中から、自由気ままに生活を謳歌する同年代の姿を見つめれば、単純に羨ましく思うはずではないでしょうか?

日本の子どもたち、それも女の子の自立的文化を羨む子どもたちが世界中にいるように思えます。この眼差しは、より多くの自由を希求しようとする自然な欲求であるはずですし、共感であるはずです。だからこそ、世界のいたるところで、コスプレイヤーやGYARU(ギャル)が出現するのではないでしょうか?

加えて、近代化の過程で見失ったであろう、古代のおおらかな自由さを持つ生命観への憧憬も存在しているのでしょう。欧州においては、消失して久しいケルト的文化への憧憬が、深層に垣間見えるような気がします。現代における科学技術の万能視への懸念やエコロジーへの関心が、自分たちの忘れてしまった過去であるケルト的文化へ向くことは容易に想像できます。また、平和への指向も、神々が共存する古代の多神教的な世界観の方が近い位置にあるはずに思えます。

 

未成熟の誘惑/「女の子」を見出した世界

父性的側面を有した西欧化社会や遊牧民的社会は、自立する子ども少女を認めにくい環境があります。過去、西欧文化において、「少女MANGA」や「少女アニメ」といった少女の世界は存在していなかったとさえ言えるでしょう。

女の子と言う存在を自覚できない文化・生活環境に囲まれていた未成熟の大人の女性は、ある日、日本と言う異国で花開く、可愛さに溢れた少女文化の世界を見出すことになりました。自分を模索していた少女たちにとって、どれだけの刺激であり衝撃であり得たのでしょうか?

世界各地におけるGYARU(ギャル)の誕生は、女の子と言う「自己」の発見に他ならないように思えます。

もちろん、伝統的な文化・生活との軋轢・衝突は大きく、歯牙にもかけない反応をする少女――少年も同様ですが――が多数を占めるのは当たり前です。とは言え、世界各地に誕生するGYARU男の子の動向は、それまで存在しなかった新しいだけのコンテンツの刺激ではなく、シンデレラに変身するような、ある種の根源的な魔力の存在を暗示するかのようです。

 

子どもが見出したコミュニケーション言語「MANGA

従来の西欧化社会、遊牧民的社会には存在しなかった日本的感性を備えたMANGAANIMEは、またたく間に世界中に広まりました。自由さ鷹揚さ多様性を内在するだけでなく、自分自身を投影できるだけの高度な内容・表現力を備えたMANGAANIMEは子どもだけでなく、多くの大人たちを虜にしてしまったのです。

今では、有効な文盲対策として、ANIMEに教育的価値を見出す発展途上国さえあると聞きます。字を読み書きできない子どもたち(大人たち)に向けて、画像と音声による教育としての効果を期待してのANIMEの活用です。

少女文化の申し子「セーラームーン」、男の子に向けた「パワーレンジャー(スーパー戦隊シリーズの海外名)」、動物との共感を背景にした、鳥獣戯画の流れを汲む?と言われる「ポケモン」などなど、日本特有の文化、美的感覚、超自然的なものに支えられた、新しいファンタジーが世界中の少年少女や大人たちに受け入れられているのは事実です。

 

少女MANGAの世界

アンダーグラウンドファッションとして定着した感のある「ゴスロリ」というジャンルは、本来ヨーロッパの貴族文化を背景としたはずですが、鷹揚な(と言うより何でもアリ)日本の服飾文化の中で発生、成熟した少女服として、逆に世界に広がっています。

1980年代生まれの中国の新人類世代として名高い「80後(バーリンホー)」は、一人っ子政策とITの申し子として位置付けられ、その後に続く「90後(ジュウリンホー)」は新・新人類として、小皇帝・小皇后と呼ばれて、可哀想にもそのわがままさだけが喧伝されているようです。この90後世代が好む容姿が非主流派=GYARUと聞きます。ちなみに80後は自然派、70後はゴージャス派の容姿と見なされていて、それぞれの育った社会環境の特徴が偲ばれます。

80後以降の新人類たちは、普通に自分のサイトで容姿を含めた自己紹介をするのですが、90後の容姿はまさしく、大きな瞳をアピールする日本のGYARUそのものの姿なのです。

最新のプリクラでは、瞳を強調するテクニック(目を拡大するCGテク)が売り物です。この大きな瞳と縦ロールを持った髪型は、そのまま少女MANGAの代表である『ベルばら』の世界に繋がります。今や世界中に広がっているGYARUとは、少女MANGAの実体化に他ならないのかもしれません。

 

kawaii COLOR

2011SSインターカラーの提案の中に、気分をさわやかにさせてくれるライトカラーとしてシュガーコーティングされたような色群があります。軽くさわやかな、あるいは甘く少女的なカラーグループです。当該シーズンを代表するカラーグループとは言えませんが、シーズンを彩るカラーとして期待された色調であることは確かです。実はこのカラーグループは、インターカラー参加国において、kawaii感覚のカラーとして提案・検討された結果、選択されたグループなのです。

以前の「自然の色」に関する記述で取り上げたピンクへの、日本人としての傾倒――PINK男子を含めての男女を挙げての高い嗜好――には、その底流には、可愛い色を希求しようとする現代日本の美意識が存在するはずです。

JAFCA2010年に発刊した『恋するピンクと勝負ピンクvol.2』では、女子大学生におけるピンクの調査データがまとめられていますが、その中で「ピンクが好き」と答えた回答は93.2%という高すぎるほどの嗜好を示しました。同じくピンクから連想されるキーワードにおいても「可愛さ」と、次いで「女の子」に関するワードが圧倒的に多く、「可愛い」と「好き」の高い関連が実証されるとともに、女の子の文化とピンクの密接な関連性もうかがわれます。

一般財団法人日本ファッション協会が日本のストリートファッションを世界に発信するサイト「style-arena」では、最新のアンダーグラウンドファッションも取り上げていて、おなじみの「ゴスロリ系」をはじめ、kawaiiファッションの氾濫ぶりを確認することができます。そして、「ロリータ系」「フェアリー系」「ドーリー系」など、多くのkawaiiファッションでは、kawaii COLOR(多くはピンクを中心とするパステルカラー)が採用されていることがこのサイトから見て取れます。

なお、このサイトの紹介によると、この頃のコンパニオンの動向では、自動車業界のイベントなどで「COOLコンパニオン」なる、コスプレや奇抜さを誇るカジュアル(?)な装いが見られるようになってきています。長生きはするものですね。

style-arena」:http://www.style-arena.jp/
紹介しているコンテンツには、「Tokyo Street Style」「Shops」「Topics」「Special」、 そして、    アンダーグラウンドファッションを紹介する「New Tribe」があります。