●色のクオリティー
1975年当時、東レの繊維事業本部におけるファッション・セクションには、色指定に使うための、色生地の細片が十数から数十貼られたA4台紙が色相やカラーグループ別にファイルに収められた大量のカラーストックがありました。色数で10万色と言われる膨大なストックでした。(数えた人がいないので実数は不明ですが、4~5万色は確実にありましたので、ここでは10万色ということにしておきます)
これらの色生地は、ファッション・スタッフが集めた国内生地の細片もありましたが、その多くは、当時パリのオートクチュールから集められた最高級の染色生地の端切れでした。
これらの端切れは、シーズン毎に使用されたオートクチュールの貴重な素材の切り落としで、普通は外部の人間の手に入るものではありません。これらの端切れを東レが継続的に買い入れることができたのは、当時西武デパートのパリ代表として、パリの最先端ファッションを日本に紹介し続けた堤邦子さんのおかげだと聞いた記憶があります。堤邦子さんと言えば、パリで開催される初期のインターカラー(国際流行色委員会)の会議にも、JAFCAのメンバーとして堤さんが参加されてもいたはずです。
私が業務として、トレンドカラーの色選定や試織素材のサンプルカラーを選定する場合(普通”色出し”と言われます)には、このカラーストックを使用することが許されていました。
色出しの実務としては、このストックの中から色を選びだし、その端切れから細片(カラーチップ)を切り取り、指定の染工場にメモを付けて送付することになります。
今でも、この膨大なストックの中でただ一色思い出せる色があります。それはPALE PINKに染められた最高級のシルクの多重織の無地素材で、表面には大きな綾が上品な光沢を放っていました。このピンクは微妙にオレンジ味を感じさせる優しい印象で、私が出会ったピンクの内で”最も美しいピンク”だと今でも思っています。’70年代後半、私の色出し作業では、この美しいピンクの細片を何回も使った覚えがあります。
このカラーストックを利用するにあたって、ここでも当時の上司だった松田豊さんに教えていただいたことがあります。それは「色出しのクオリティーは選べる色数に比例する」ということ。
さらに「個々の色にはそれぞれのクオリティーがあるので、良い色を見て、良い色から選ばなければならない」と続けられました。
ファッションカラーは常に新鮮さが求められます。その新鮮なファッションカラーを、限定されたカラーシステムの中から選んでいては、ファッション市場の期待に応えることはできません。ベーシックカラーと呼ばれる白、黒、グレー、ベージュ、ブラウン、ネイビーなどの各色についても、シーズン毎に、微妙にニュアンスの違う色が求められるため、必要に応じて数百色の色群の中から選び出すことになります。
それこそ、素材や組織、仕上げ加工が異なる上に微妙に色調が違う数百色の黒のカラーサンプルの中から、次シーズンの1色を選び出すことを想像してもらえますか?
松田さんは、私が苦労して選定した“黒”を視て微笑みながら、「関西の黒(関西で好まれた赤みのニュアンスを感じさせる黒)だ」とか、色の特徴を解説した上で、選び直すよう指示されたものです。
また、「ファッションカラーの世界では、数千色程度の色体系では役に立たないので、既存のカラーシステムに頼ってはいけない」と釘を刺されました。
確かに、常に新色を提案しなければならないファッションの業界においては、PANTONEなどの色見本は、確認や再現のための使用に制限されるものでしょう。
なぜなら、3000色程度の色見本の中から、例えばレディス向けのベージュを選ぶとすると、”ベージュ”に値する色は多くて10数色程度しかなく、欲しい色をこの中から選ばなければなりません。さらに、その後のシーズンに再度ベージュを選ぶことになった場合、レディス・ファッションに使えるベージュは限られますので、同じ色を選ばなければならない確率が高くなります。これではファッションカラーの提案色には成り得ません。一方、東レのカラーストックには、パリのエレガンスを体現する数百色のベージュを集めたファイルが2冊ありました。
もしあなたが、新しいファッション・イメージを表現できる”理想の色”を探すために、3000色から選ぶ機会と、100000色の中から選べる機会があるとすれば、どちらを選択されるでしょうか?
この答えは、言うまでもないことだと思います。
このような「10万色のカラーストック」については、私が見聞きしたところでは、これほどの質・量を備えたカラーストックを色出しに活用していた紡績会社や合繊メーカーは他に無かったようでした。
私は、‘70年代後半から’80年代前半にかけて、奇跡のような「10万色のカラーストック」から自由に色を選ぶことができるという、幸福な時間を過ごすことができました。
とはいえ、当時の私は、自分一人の責任で色を選ぶという業務に、楽しさよりもかなりの重荷を感じていましたので、この時代における色を選ぶ作業がいかに幸福な仕事だったかに気付いたのは、かなり後になってからのことになります。
カラー&ファッションアナリスト 山内 誠