CBNからの覚書き/環境色彩計画

環境色彩計画05 基礎デザイン学と色彩

武蔵野美術大学の基礎デザイン学科は1967年に創設されましたが、僕は1968年に、この学科に二期生として入学しました。基礎デザイン学科は、デザイン科志望の学生の偏りを失くし、より広く人材を集めるため、入試科目にデッサンや色彩構成といった実技試験がありませんでした。その替わりにデザインには論理的な思考が必要だと考えられ数学がありました。実技がなく数学が入試にあったためか、基礎デザイン学科には美大としては変わった人種が集まりました。入学して授業が始まってみると、ここでも想定外の科目が多くあり、デザインをよく知らなかった僕は、多少混乱しましたが、記号論、サイバネティクス、社会学等を受講して当時の新しい考え方に触発され、今後デザインは何をすべきかということを考えさせられました。さらに、演習科目も一般に考えられていたデザイナーになるための実技演習とは異なっていました。デザインの他学科では定番となっていたポスターを描くとか、家電製品をデザインするといった具体的なものを制作する演習は全くありませんでした。例えば色彩演習では、色彩の透明性を探求するという課題があり、2次元平面における透明感はどのような条件で現れるかを検証します。そこでは人間の脳がどのように色彩現象を判断しているのかということも考えさせられます。また他の演習課題では、ある造形単位を決めて、その単位を数学のシンメトリーの概念を使って展開するとどのような図像が描けるかとか、立体の演習でも、立方体を興味ある同形に2分割せよといった課題をこなしていきます。演習課題では平面でも立体でも常に数学的な解釈が必要でした。そして制作は多くの人がその成果を共有できるように手描きの曖昧な線や面は徹底的に排除され、曖昧な表現はノイズとして除去され、なるべく正確に均一な面を数学的に構成することが求められます。コンピューターがまだ未成熟だった時代に数学的に正確な図像を描き、正確な立体つくることはとても大変なことでしたが、次第に数学と美の関係について考える習慣が身に付きました。

 

基礎デザイン学科は、戦後のバウハウスと言われたドイツのウルム造形大学の教育内容を取り入れ、日本の状況に合わせて再構成されていました。この学科は当時の商業デザイナーになるための教育を行わず、またその前段階の基礎課程を習得するための学科でもなく、デザインを科学的に捉え、デザインの基礎工学をつくろうとした学科でした。卒業後は商業デザイナーではなく、デザインの研究者、批評家、教育者等として働くことが想定されていました。さらにその知見を活かしてよりよい社会をつくろうと考えていました。ソシオデザインと呼ばれたその分野は、当時の商業的なデザインとはかなり異なる目的を持っていました。基礎デザイン学科の卒業生には色彩関係の仕事をしている人が多くいます。基礎工学として色彩を扱う方法が、日本のカラーデザインを活性化したのでしょう。僕が仕事とした環境色彩計画も、単純にものの色彩の善し悪しを問うのではなく、最終的にはcそれぞれの地域が暮らしやすくなることを目指しています。そのため、色彩だけの問題では収まらず、色彩以外の分野の人達とも連携しなければなりません。環境色彩計画は地域の色彩を調査し、分析して、その内容を分かりやすい言葉で示すことによって、都市デザイナーたちと協働することが出来ました。

                                     環境色彩計画家 吉田慎悟