CBNからの覚書き/環境色彩計画

環境色彩計画04 カラリストとして歩き始めた頃

これまで、日本の環境色彩計画の覚書として、重田さんとランクロさんのことを書きました。その頃の僕の仕事についてもここに記録しておきます。と言っても自分のことを書くのは苦手なので、当時の僕の仕事について重田良一さんが197710月に発行されたJAPAN INTERIOR DESIGN建築の色彩計画の中に書かれた文章を引用します。まだ20代だった僕はこの文章にも随分と励まされました。

 

個の表現力と方法カラープランニングセンター及びランクロの仕事ついて”(一部抜粋)

吉田氏は色彩に愛情を持ち、色彩の扱いに種々の論理的な動因を与え、その展開に表現の意味を持たせ得る人である。アルバース、マックス・ビルを愛する彼は、色彩そのものに問題を限定し得る人だ。ランクロの事務所での経験の上に、既に彼は日本で多くの建築色彩の仕事を実現した。私は現物及びスライドを見ることでそのほとんどを追体験している。私にとって彼の仕事を見ることは、自分の迷いを正し、また自分が抱いている意図の適不適を探り出すチャンスなのだ。彼の絵画的作品の上の色彩は、音楽的な純粋さで扱われ、垢がない。

彼が既に手がけた、団地、学校の計画は五ヶ所を超える。そのすべては新築された建築である。

学校建築の仕事では、外装の色のみでなく内装も全部扱われ、施設全部に一貫した意図を表すための苦心が見られる。彼の絵の上での色調がそうであるように、内外装の色調も明るく清潔であり、又色調の昂揚と共に表れる壁面上の図柄はどちらかというと抑制のきいたものである。

彼が使っている色調の幅は相当大きいに違いないと思うけど、建築色彩の規模に現れている彼の特徴は、あまり強くない色の差で表されているものにあるように思う。又は非常にひそやかな雰囲気を作っている色調の部分にあるように思う。

私は色彩の扱い方での風土の影響を大事に思う。建築色彩では、建築の性質や容量の点で、基調色は自然色或いはそれに近いものをとることが多いが、私の言う風土の影響は、考え方つまり色の扱いに示される特徴である。風土の影響というより、風土の中でつちかわれ、それから離れようとし、人独自のかたちに向かおうとするものだ。色彩の表現に於いても、自然から出発し、人の考えや工夫による置き換えの操作の中に民族の性質、文化の性格があったと思う。自然との関係での単純な直接法はだめだ。それは自明の理といわれればそれまでだが、日本の風土に溺れ、ひっかかり、かなたに西洋を見ながら絵を描き絵の具を扱っていてそう思う。

吉田氏は先に書いたように、いわば純粋な色の勉強をし、その世界に表現力を持つ人である。そして建築色彩の分野ではランクロの手法から出発していると思う。日本の風土の中に生き、そこに花咲く建築色彩の仕事を続ける過程で或る転換、或るひっかかりが生じるかもしれない。吉田氏の仕事の上に見える感覚的な特徴を見ていると、風土とのつながりが潜在している。日本の現代美術には、象徴としての色彩がまだあらわでない。片目で西洋の現代美術を見ながらそう思う。

絵画においても、建築色彩においても、西洋の彼らの歪みは構築的に出現し、それに対して我らの歪みは装飾音的きっかけで生じるのじゃないかと思う。

 

JAPAN INTERIOR DESIGN 画家・千葉大学工業意匠学科助手 重田良一

197710no.223 個の表現力と方法カラープランニングセンター及びランクロの仕事ついてより引用

 

                                    環境色彩計画家 吉田慎悟