CBNからの覚書き/環境色彩計画

環境色彩計画03 パリのランクロさん

カラーデザインを学ぶために、パリのランクロさんのアトリエに行ったのは1974年のことでした。

パリのポルト・ド・ラ・シャペルにあったアトリエ“3Dカラーに通い始めて間もないある日、ランクロさんは仕事も兼ねてニュータウン・クレティーユに連れて行ってくれました。工事中でまだ植栽もされていないクレティーユで最初に見学したのは、画家のヴィクトール・バザレリが外装の色彩をデザインしたという集合住宅地です。その外壁には、当時、画家として成功を収めていたバザレリのオプティカルな絵画がいくつも描かれていました。その後キャベツ と呼ばれる高層住宅の近くにランクロさんが色彩計画を担当していたスーパーマーケットの現場を視察し、そこから歩いて既に竣工していた学校を見に行きました。この学校のカラーデザインは、カラープランニングセンターが発行していた「色彩情報」にも掲載され知っていましたが、実際に現地を歩いて見ると大胆な色彩処理の効果がよく分かりました。ランクロさんはストライプやグリッドという幾何学的で単純な形を原色で塗り分ける配色を使いますが、そこで使われる色彩は水平・垂直で構成される建築外壁と関係して、全く新しいカラースペースをつくり出します。歩いて行くと学校の外観の変化する見え方は明快で、絵画として求心的に絵の中に閉じこもるバザレリの壁画とは全く質が異なるものでした。

 

ランクロさんは、その後もいくつかカラーデザインの現場に連れて行ってくれました。パリ郊外に計画していた製鉄工場アルパのカラーデザインプレゼンテーションに連れて行ってもらったこともあります。工場の外装として使用する鋼板に、赤と黄色をストライプ状に展開する提案でしたが、さらに変化がほしいので、部分的に赤と紺色のストライプを入れました。しかし紺色を加えた壁面はアルパの社長が嫌いだということで簡単に不採用になりました。ランクロさんはパリに戻る車の中で「フランス人は皆色彩の趣味を持っているので難しい。」と言って提案が通らなかったことを残念がっていました。日本では本当の色彩の趣味が育っていなかったためか、特に公共的な学校等の色彩計画では、理屈ばかりが並べられた報告書がつくられ、色彩的に美しいと感じる色彩空間はなかなか実現しませんでした。フランス人の色彩の良い趣味は、日々の暮らしの中で身に着けたもので、本当に良い色の趣味を実現するのは、とても永い時間が必要だと感じました。

 

パリのランクロさんのアトリエはペイント会社ゴーチェIPAの中にあり、ペイントの販売促進のために、住宅の外装配色のセレクタもつくっていました。フランスの住宅に使われる趣味の良い色彩を知るために、ランクロさんはフランス中を回り、その色彩を収録していました。このフランスの住宅の色彩調査は、後に「地域には地域の色がある。」ことを示した色彩の地理学へと育って行きます。僕がパリにいた1974年当時、ランクロさんはフランスの12の地方色と題して、建築雑誌に個性的なフランスの地域の色彩の調査結果を連載していました。 僕は、ランクロさんが持ち帰る色彩資料を見て、それを正確に色票化し、地域のカラーパレットをつくりました。

 

当時、日本ではまだ色彩計画の手法は未成熟でした。色彩から建築やプロダクトのものづくりを考えるということはなかったのではないかと思います。本当に良い色の趣味を知って、日々の暮らしの中で生かしているフランスで、デザインを色彩から考えるという方法があるということを学びました。

                                       色彩計画家 吉田慎悟