CBNからの覚書き

カラリストの系譜

私がファッション業界、正確には繊維業界に位置する東レ㈱のファッション・セクションに就職したのは、1975年。すでに『シャーベットトーン』などのカラーキャンペーンは沈静していましたが、ファッション業界の成長期として、業界挙げて当該シーズンの「ファッショントレンド」をバイブルのように尊重して商品を作り出していた時代でした。私も未熟ながら、東レの発行するトレンドカラーやトレンド誌の制作業務の一端を担うことになりました。

そしてこのファッションの成長期には、業界にはれっきとした『カラリスト』が存在していました。

この「カラリスト」の名称は、当時、㈱レナウンで活躍されていた市川秀子さんの肩書で、当時のファッション業界で『カラリスト』と言えば、市川さん個人を指す名称として認識されていたと記憶しています。私も業界紙に掲載された、「来年の流行色の傾向」などの市川さんの記事を、たびたび読ませていただきました。

ご存知のように「カラリスト」は、本来色彩の扱いに優れた芸術家を指す言葉で、今では、芸術分野を越えて色彩を主業務とするデザイナーなどにも使用されています。

当時、「カラリスト」は、市川さんの存在などがあり、業界では職種として受け止められ、「カラリスト養成講座」なども人気を集めていました。その一方で、個々の企業内では「カラリスト」という肩書はほとんど使用されてはいませんでした。

結局、ファッション業界においては「カラリスト」という職種が確立・定着することがなく、’80年代以降、ファッションカラーの専門職さえ求められなくなっていきました。

 

19703月、『anan ELLE JAPON(アンアン エルジャポン)』の創刊をもって、服飾産業からファッション産業へと転換した業界は、成長期を迎えたことで、”流行”に注意が集まり、「トレンド」に沿う商品構成が市場として受け入れられていました。そのため、「ファッショントレンド」や「カラートレンド」が業界全体で競うように求められたことから、当時のファッション業界を牽引していたレナウンの企画部門は、正式名称として市川さんに「カラリスト」の肩書を与えて、業界での活動を支えました。市川さん個人もこの期待に充分以上に応えて、業界の歴史の中で唯一と言える「ザ・カラリスト」を意味するような存在になりました。

もちろん当時、その他にも色の専門家と呼ばれる人たちが活躍していたことも事実です。私の上司だった松田豊さんもその一人で、『シャーベットトーン』キャンペーンの推進者として、業界では『色松』と呼ばれて活躍されていました。(松田豊さんには、ファッションにおける色彩について一から教えていただき、本当に感謝しています)

とはいえ、ファッション業界に限っては、「カラリスト」の名称は、やはり市川さん個人に限られていたと言い切れるように思います。

現在、ファッション業界には多くのスペシャリストが働いていて、カラーの扱いが巧みなデザイナーやマーチャンダイザーが活躍していますが、残念なことに、相変わらず「カラリスト」が自立できるようなビジネス環境にはなっていません。

このままでは、ファッション業界において、市川秀子さんは最初で最後の「カラリスト」であり続けることになりそうです。

カラー&ファッションアナリスト 山内 誠