色とは何か 私的色彩論の展開①

DICカラーデザイン株式会社   川村雅徳

私的な色彩論のプレゼンを山内さんから依頼されて、すぐに思い浮かんだのが、 CBNのコアメンバーでもある吉田先生、大関先生、そして日本カラーデザイン研究所の創始者、 故小林先生でした。改まって自分の色彩論を思い浮かべると、 3人の方々の影響が大きかったと再認識した次第です。

吉田先生からは「色はさまざまな関係性の中で考えるものである」ということを学び、 大関先生からは「色は人を幸せにするものである」という哲学を植え付けられ、 小林先生からは「色はイメージをつかさどる心理機能を有し、 それは体系的なものである」ということを、先生の著作、 それに加えてお弟子さんたちの言葉から教えていただきました。

また、現在、私はDICカラーデザイン株式会社に勤務しておりますが、 前職は、日本流行色協会で『流行色』という機関誌の編集に20年近く携わっておりました。 ですから、御三方以外にも、ご寄稿をいただいた諸先輩、 そして当時の編集長であった故出井さんから多くのことを教えていただきました。

今日、何をお話すればよいのかいろいろと考えたのですが、 せっかくお越しいただいた皆様に浅学な私の色彩論をお話しても仕事の役に立つわけでないので、 DICカラーデザインに入社した後に開発したDCAMDIC Color Application Method)の ご紹介をさせていただこうと思います。DCAMのユニークなところは、 なんらかのイメージと色を結びつけた定量的な調査をする際に、 イメージと単色を結び付けるのでなく、 イメージと色域を結びつけるという手法である点です。

なぜこうした手法を考えたかというと、例えば「暖かい色はどんな色かイメージして選んでください」 と聞かれた場合、回答者は、ビビッドなオレンジを思い浮かべるだけでなく、ビビッドな赤や黄色も 含めて暖かい色と感じているかもしれません。そもそもイメージというのは、人にとってあいまいなもの、 認識に幅があるものなので、それに対応する色も単色でなく、色域として回答できたほうが 適当なのではないかと考えたわけです。

ただ、「色域を選んでもらう」といってもご存知のように色は三次元空間ですから、 非常に難解な回答方法になってしまいそうです。シンプルな方法で、 色の三次元空間を選ぶためにはどうしたらよいのだろうと考えて作り出したのが、 このカラーチャートになります。

 

 

簡単にいうと、このカラーチャートは、色の三次元空間を、魚の開きのように二次元化したものです。 ですからこのカラーチャートの中の単色は上下左右の色と連続性をもった関係になっています。 とはいっても単色は、さまざまな角度、方向に連続性をもっていますので、 色立体の中のすべての色を二次元化することはできません。 そこで、イメージを色域で測定するには、どんな色が重要なのかを考えました。

この段階で参考にさせていただいたのが色とイメージの先行研究です。 その一つが小林先生のイメージスケールです。 イメージスケールは「ウォームクール」「ソフトハード」「クリアグレイッシュ」 という3つの軸が色のイメージ空間の骨格になっていることを示しています。 また、日本色彩研究所が発行している色彩教材資料でも、 色のイメージ(資料では「色彩感情」という表現)は「快不快」軸となる評価性、 「興奮沈静」軸となる活動性、「緊張弛緩」軸となる潜在性の3次元構造であるとしています。 この2つは、おおむね同じ研究成果で、「ウォームクール」は「興奮沈静」、 「ソフトハード」は「緊張弛緩」、「クリアグレイッシュ」は「快不快」に相当しています。

ですから、DCAMのカラーチャートはイメージを色で切り取るときに重要と思われる3軸をなぞることを念頭に、色立体内の連続する色の軌跡で二次元化をしています。

DICカラーデザインでは、このカラーチャートを使用することによって、 イメージというあいまいな調査対象を、色域というあいまいな回答をもとに集計し、 イメージと色彩を結び付けて可視化することで、ビジネス活用をしています。

簡単ではありますが、DICカラーデザインオリジナルの色を活用したイメージ測定方法の紹介をもって、 私の色彩論プレゼンの主題とさせていただきます。 DCAM調査結果の一部は、会社のHPでも紹介しておりますので、関心がある方は一例としてご覧いただければと思います。

http://www.dic-color.com/seeds/dcam.html

 

最後に、簡潔に本日の本当のお題であった私的色彩論についてお聞きいただければと思います。

冒頭に述べたように、「人」との関わりを通して、今日の私の色彩観ができているなぁと感じ、私はとても幸せ者だと思いました。

時間も限られておりますので説明不足になってしまうと思いますが、自分の言葉で端的に私的色彩論をいうならば、 「たかが色彩、されど色彩」「適色適所」という言葉に集約されます。

「たかが色彩、されど色彩」とは、色で利益を生むことを背負ってきた仕事人生の中で、常に感じていたことです。 どういうことかと言いますと、私が仕事で携わってきた「モノの色」はどんなモノでも、白~グレー~黒で成り立ちます。 「色(有彩色)」は不可欠な要素ではありません。モノの第一義は「機能」になります。 また「十人十色」という言葉からもわかるように、色は人それぞれの好みで良いという認識が世の中にあり、 その考え方は一つの真理でもあると思います。そうであっても、あえて「色(有彩色)」を云々考えることの意味は 何なのかというジレンマを表しているのがこの言葉です。「されど色彩」という言葉は、 私の色彩観の「必ずしも色(有彩色)は必要ではないけれど、それがあることで人の感情を揺さぶることができる」 「色は人を幸せにする力をもっている」という信条になります。

「適色適所」は、どなたでもわかるように「適材適所」という諺をなぞらえた造語ですが、 その人の能力・性質によくあてはまる任務を与えることが組織の力を最大化することと同様、 その色の適性を見極めた適切な使い方をすることが、カラーデザインを考える上での私の信条であるということです。

余談となりますが、これまで、ビジネスという枠組みのなかで色の有効活用、生々しい言い方ですと、 どうすれば多くの利益を上げられるのかを考えることが使命だったわけですが、第二の人生ではこうした枠組みを取り払って、 色と向き合いたいと考えている今日この頃です。その際のテーマとしては、和歌や短歌という先人たちの感性表現のなかで、 どんな風に色の「美」が詠われているのかを探ってみたいと考えています。